Go To 府中刑務所「懲役へ行く者はすべては、《諦め》から始まる」【塀の中はワンダーランド刑務所編①】
凶悪で愉快な塀の中の住人たちVol.1
◼︎ どこの刑務所に行っても、仕事で他の懲役に負けることはなかった
それから何日かして、ボクは府中刑務所へ移監された。このとき、昔、ボクが世話になった府中刑務所の当時のクリーニング工場のオヤジ(担当の刑務官)の白田がたまたま八拘にいて、その日は護送バス担当の責任者として、ボクを府中刑務所まで送ってくれた。
若かりし頃のボクが玩具をつくる、通称「オバケ工場」と呼ばれる東部六工場で就役していたとき、ある組織の懲役とつまらないことで言い争いになって、その懲役をブッ飛ばしてしまったことがあった。そのあと、懲罰が明けて出役していった先のクリーニング工場のボスをしていたのが、この白田だった。
出役していったクリーニング工場の担当台の前で、私物袋を小脇に緊張して「気をつけ!」の姿勢で立っていると、縮れた髪の毛が帽子からはみ出した色黒の白田が担当台からでかい身体を揺らし、大きな目をギラつかせながら、工場を見渡すように階段の下まで下りて来ると言った。
「サカハラ、前に来い」
「ハイ」
ボクは返事をして身体を一歩横にずらし、階段のところで腹を突き出して立つ担当部長の前に立って顔を見上げた。
かつて、当時の阪急ブレーブスにいたブーマーが看守服を着ているような担当部長は、そんなボクの思いをよそに、ボクの身分帳(細長い短冊のような大きさの紙に顔写真が貼ってあり、その下側に大まかな個人情報が記されている。現役のヤクザなら、「◯◯会✕✕一家」などと書かれている)を眺めながら、「サカハラ、お前、✕✕一家だな。よぉーし、面倒見てやるから、しっかり甘えて行け! 俺は◯◯会以外の人間はでぇっ嫌れぇだし、面倒見ねぇ主義なんだ!」と、工場中に聞こえるかのようなバカでかい声で咆えた。
あとで聞くところによると、ある組織の不良たちにわざと聞こえよがしに言っていたということがわかった。声もでかいが、身体も態度もでかい面倒見のいい担当部長だった。
この工場には都内23区のひとつ、中野区一帯を縄張りとする、ある組織の素晴らしい兄ィがいた。その兄ィは、堅気を大切にし、率先して人の何倍も働き、男らしく務める、真の侠道精神を持つ男だった。
見ていて惚れ惚れするその兄ィが背負ってきていた事件は、心酔する親分の厄マチ(悪口)を某組織の人間に〝切られた〟ことが発端で、その相手をうちの親分の悪口を言いやがって。殺らなければ面子が立たないと思い、至近距離から相手を撃ったのだ。
その相手は一命を取り留めて車椅子の生活になったが、裁判で「自分にも非がある」と言って謝ったことで、同じ殺人未遂罪でもいくらか刑期が軽くなって、懲役8年の判決となった。
そんな立派な兄ィのいる工場だから、〇〇 会のサムライたちがその兄ィのもとにまとまって、誰もが一生懸命働いていた。そんなこともあって、〇〇会は担当の信頼を得ており、担当も面倒の見がいがあったのだった。
その一方で、嫌われていた某組織の親分は、お日様の当たるところで適当に楽をしていたから担当には嫌われ、その周りに集まる小数の不良たちは冷や飯を喰らっていた。
ボクがこの工場に来たときに担当が咆えたのは、このような理由があったからだった。
この当時の府中刑務所は、ヤクザヤクザした不良や、その気持ちをわかってくれるトッポイ担当看守もいて、昭和の最後の不良たちにとっては、天国といってもいいところだった。
その白田のオヤジが、到着した府中刑務所の「領置調べ室」で荷物を抱えて立っているボクに背後から近づいてくると、
「サカハラ、身体大事にな」
一言寂しげに呟いてその場から去って行った。
領置調べ室には一緒に移送になって来た6人のアカ落ち組がいた。そこで領置調べが終わると、ボクはできたばかりの東五舎二階の独居に入れられた(この当時、府中刑務所はまだ建造中だった)。
3日ほどして、分類面接官から呼び出されたボクは、事件に至った経緯や家族構成を訊かれ、さらに、初体験はいつで、女は何人知っているか、タバコや酒はどのくらい飲むのかなど、いろいろ訊かれ、最後に「どこの刑務所へ行きたいか」と訊かれた。
初めは府中刑務所を希望したが、府中刑務所には、兄貴殺しに関与した人間たちが務めていたことから、その願いは叶わなかった。そのあと、面接官が何カ所かパソコンで調べた結果、近場にあるどの施設にもそのときの関係者がいることが判明した。仕方ないので「北海道はいいですよ」という経理夫たちの話から、迷わず、北海道行きを希望した。
移送になるまでの2カ月間、サウナ風呂にでも入っているような、うだる暑さの独居房で、ボクは来る日も来る日も蝉たちの声を聞きながら、袋の糊づけ作業をやっていた。袋は和菓子屋やブティックなどの物が多く、たまに有名デパートの袋などもあった。
そんなことから、糊づけの腕前はみるみるうちに上達し、ボクの右に出る者はいなかった。たぶん……。
決して自慢するわけではないが、ボクはどこの刑務所に行っても、仕事で他の懲役に負けることはなかった。ガムシャラに仕事をすることで嫌なことを忘れ、一日の時間の短縮を図るようにしていたから、自然にそうなっていくのだ。
禅ではこれを「平常心」というそうだ。そして、この身がどんな境遇に置かれても、ボクはその置かれた環境を楽しむ精神でいた。嫌なことを嫌だと感じて生きるよりも、どうせ生きるなら、自分の心のあり方を少し変えて楽しく生きるようにした方が、よほど楽しく生きられると思うのだ。
そんなあるとき、ボクは経理夫に訊いてみた。
「どうだい、最近、オレの腕前上がったろ。数も出すし、仕上げもなかなかだろ。まあ、オレの右に出る奴はいないんじゃないの」
そう言って得意顔をしているボクに、経理夫はちょっと首を傾げてから微笑むと、
「そうですね、サカハラさん、確かにトップですね」
それもそのはず、あとでわかったことだが、袋の糊づけ作業は、ボク以外、誰もやっていなかったのだ。
(『ヤクザとキリスト〜塀の中はワンダーランド〜つづく)
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2020年5月27日『塀の中のワンダーランド』
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「ヤクザとキリスト〜塀の中はワンダーランド〜」です。